未来へのあいまいな不安

2月7日(日)、ほおずき連陸上部から5人が守谷ハーフマラソンに出場しました。
5人とも自己記録を更新しましたよ。
カラっと晴れていましたが、強風突風がすごくてつらいレースでした。
特に上り坂で向かい風が襲ってくると最悪。
そんなときにかすかな尿意の予感までやってきたりします。
いざとなったらどうしよう、コンビニかファミレスで借りようか。
面倒だな、時間のロスだな。
まあいざとなったらだ、まだ大丈夫だ。


前もあったのですが、この尿意(の予感)は、あとあとやっかいだなという、「未来」に対する漠然とした不安であって、今現在、こうして走っている最中にすぐにトイレに駆け込まなくてはいけないというほどのことはないのが通例です。
その証拠に、ゴールしたら、尿意などすっかり忘れてしまいます。


未来に対する不安はレース中にいっぱい襲ってきます。
レース前半の苦しさは、後半に苦しさが倍加することを予感させて不安を呼びます。
前はふくらはぎが痙りそうになったのですが、今回は太ももの裏にちらっと違和感が走りました。
ハムストリングってやつですか。ここを傷めたら致命的です。思わずスピードを落として様子を見ました。
体に対する感覚が鋭敏になっているのか、膝やらふくらはぎやら呼吸やら心臓やらも心配でたまらなくなります。
時計を見ては、あと何十分か後のレース終盤にじわりじわりと訪れるであろう地獄の苦しみの予感に恐れおののきます。
スタミナや筋力の限界を超えてしまえば、リタイヤの可能性だってあります。
実際、足をひきずりながら沿道をとぼとぼ歩く選手の姿を何人か見ました。
今は我慢して淡々と走るしかありません。


未来に対して抱く感覚ってあいまいだしどうとでもなりそうなものですよね。
「不安」を「期待」に変えられればいいだけの話ですよね。
終わったら風呂と飯が待っている!
このままがんばったら目標タイムが切れる!
ゴールしたときの快感、感動が待っている!!
って‥‥。
そういえば景気ってやつも、未来に対して「不安」を抱くか「期待」を抱くかによって決定されるとか。
もっともマラソンに関しては、ペースの維持のために適度な「不安」も必要かもしれません。
(じつに)