抑えあっての最高潮

今年公開される阿波踊り映画、『眉山』の原作を読みました。さだまさしの作品です。ひとりの女性が東京から故郷の徳島に帰ってきて病気の母と過ごす、一夏の出来事です。眉山をはじめとする徳島のおだやかな風景と、本番を目前に控えて練習に余念がない連の「よしこの囃子」の響きが小説全編を満たしていて、それだけでうれしい小説です。ちなみに主人公が属している連は阿茶平連(あぢゃへいれん)という、どこかの連と酷似した名称!
さて、さだまさしによる阿波踊りの情感の描写に思わず興奮しました。長いけど引用します。

「よしこの囃子」は、はじめ緩やかで、ささやかでむしろもの悲しい。
 最初、旋律の芯は哀愁を帯びた笛の音で、それを支えながら三味線がもの静かに語りかけるように唸るように、低く鳴る。
 鉦物(かねもの)や太鼓はまだまだ気遣うように息をひそめている。
 踊り手の一団は、はじめ互いに牽制し合うように、あるいは噴き出る思いをわざと抑えつけるように、流れに身を任せてゆったりと歩くように踊る。
 身体(からだ)の底から沸きおこる高まりは、徐々に徐々にだが、心臓の鼓動に合わせるように熱くなってゆく。だがそれをあえて抑えつけるように保たれる緩やかなテンポが、却って熱気を閉じ込め、圧縮するかのようで、結果、沸点を上げさせるのかもしれない。いずれ、とうとう興奮を抑えきれなくなった踊り手が自らの疲労を励ますような合いの手や悲鳴にも似た叫び声をあげはじめると、その気合が鳴り物衆の胸をかき立て、ここで律動は最高潮に達し、とうとう踊りは雪崩(なだれ)をうって坩堝(るつぼ)となる。だがまだ終わらない。その最高潮を、更にもう一つ上の高みへ突き上げるのは鉦で、それに呼応する太鼓の雄叫びはぶんぶんと唸るように天上へ舞い上がり、ここに至り、踊り手はついに無我に達する。

これが「ぞめき」なのだというのです。最高潮に至るには、緩やかなテンポで抑えに抑えることが必要なのですね。しょっぱなから暴れまくり打ちまくるような僕の太鼓はダメかもしれない。(笑)
それにしても映画が楽しみ。去年の夏の阿波踊り本番の翌日から撮影したという、映画『眉山』のクライマックスシーンを想像すると、今から鳥肌が立ちますよ。
(じつに)