阿波踊りには「正調」はない!?

「あわぎん」のサイトに掲載されている、四国学院大学講師、三好昭一郎さんの論文「阿波踊りの歴史」をたまたま見つけて読みました。
http://www.awabank.co.jp/kojin/odori_index.php

江戸時代の徳島の歴史を、民衆と藩の関わりを中心に論じながら、阿波踊りがどのように変化・発展してきたかを紐解いています。
五章に渡って論じた後の「おわりに」に書かれている文章が心に響きました。

さて、阿波踊りの芸能的な特徴として注目しておきたいのは、囚われることのない民衆芸能だということである。もちろんこの踊りには伝統があり、また思想があり、約束ごともある。それは正しく踏襲されなくてはならないのだが、多くの郷土芸能のような面倒な正調などはないのである。わが連は正調を守っているなどと自慢する声も聞くが笑止千万である。そこにいう正調とは、その連だけの正調ということで、それを他の連や踊り子たちにも求めようというのは邪道であるし、すべての踊りに「正調」と思っている芸態を押し付けることはエゴの極みであろう。

阿波踊りには「正調」はないというのです。
大胆な意見ですね。これには反発したい人がかなりいるのではないでしょうか。
だって、阿波踊りの「正調」って、ごく自然に浸透している考えですよね。
でもこの先生に言わせれば、正調がないことこそ阿波踊りのよさであり、今日の発展の理由なのですね。
僕は新参者だからかもしれませんが、この先生の言葉には励まされました。

要するに阿波踊りの精神だけは正しく継承しておれば、どの連も自由自在の芸態を創造すればよいのであり、さらにいえば、連を構成する一人ひとりが、その個性を出し合ってバラバラであっても、全体として阿波踊りにまとまっていれば理想的ではないだろうか。今日に継承されているぞめき踊りとは、本来そのような踊りであるということを、ここで確認しておくことが、きわめて大切なことではないであろうか。

「一人ひとりが、その個性を出し合ってバラバラであっても、全体として阿波踊りにまとまっていれば理想的」って、まさにほおずき連の目指す方向ですよね!
すごく難しいですけど。

この論文だけ読んでいろいろ言うのは無謀なのかもしれません。
これから、ちょっとずつ調べていきますね。
(じつに)