ビート感の共有

徳島の有名連「天水連」の「天水による天水のための阿波おどり絵巻」は、世界の阿波踊り演者に向けて鳴り物や踊りの極意を理論的に解説してくれるすばらしいサイトです。
僕は練習でよく鉦を叩くので、このサイトの「第5回 鉦の役割はなんだろう?(鉦)」というページを読んで勉強しようと思いました。
読み進めていってこんな一節に出会いました。

連により特色もさまざまですが、天水連では鉦はあまり大きな音では叩きません、
テンポの変わり目や、鳴り物が乱れた時には、合図を送る意味で中打ちを使い大きく鳴らしますが、
通常は少し控えめな音量で叩いています。
必要な時には合図を送り、そうでない時は音を殺して鳴り物全体にとけ込む。

そうなんです。有名連の鳴り物は鉦が目立たないんです。鉦がリードしなくても、鳴り物は自律して調和したリズムを鳴らし続けられるのです。これは娯茶平のCDを聞いたときも気がつきました。粋で高度な鳴り物ってのはこういうものなんですね!


そんなことを心がけながら昨日の練習で鉦を叩きました。右に大太鼓たち、左に締太鼓たち、ちょっと遠方に三味線(アンプで音量増幅!)と笛を配していました。
目をつぶってそれらの鳴り物に耳を澄ましました。もしここで鉦の音を引っ込めたとき、はたして「自律して調和した鳴り物」が鳴り続けられるだろうかと心配になりました。


大太鼓の一人は重く引きずるビート感が特徴。別の大太鼓は軽快なビート感が持ち味。まだ大太鼓を始めたばかりで安定感ばっちりとまではいかない人もいる。締め太鼓の人たちはみんなジャストなリズム感の持ち主みたいだ……。うーん、ここで鉦がなくなったらいろんなビート感が乱立して、少々混乱するかもしれない……。


自律と調和に必要なのは、演奏者たち自身の体から湧き起こるビート感そのものが一致すること。そのためには、みんなが「ほおずき連のビート感」のようなものをつかんで、自分の体から鳴り出すようになるまで、いっしょに叩き続けるしかないんでしょう。
(じつに)